「連合赤軍事件」のことを調べようとすると、実行犯たちの手記がやたらあるのだが、世代が違う僕から見ると、主義や思想を丸暗記して語ってるだけで、自分の言葉で話している感じがしない。
今の総理大臣のように、何を伝えたいのかよくわからない。
そもそも左翼的な言語、ブントとか、プロレタリアとか、プチブルとか・・・、やたら横文字を使いたがるところは某都知事的に見えるし、学がない僕には、短歌や詩で表現されても、いまいちピンと来ないのだ。
だから、それらの書籍をわざわざ手に取ることは無かったし、二十代で一生刑務所暮らしが確定した人に対して、哀れだと思う気持ちはあるが、思想的立場からは理解することはたぶん無いだろう。
自業自得というには、あの当時の活動家たちは、誰もがそうなってもおかしくない場所に立っていた。
そんな時代なんだと思う。
ブームというのは、そういうモノなのだ。
革命ブーム。
「革命は、ブームじゃない」と怒られそうだが、いやいや、現代を生きて、さらに賃金上がらない社会で稼ぎながら、このコロナ禍を生きて行かねばならない我々世代からすれば、あなたたちの時代は十分豊かなんですよ。
面白いもので、あの時代に学生運動のようなことをしていたであろう世代に、連合赤軍の話を聞いても、なんとなくはぐらかされてしまうのだ。
やっぱ、黒歴史だったり、思い出したくない要因として「連合赤軍事件」は位置付けてあるのだろうか。
オウム事件をタイムリーに見ていた僕が「オウム真理教に興味がある」という若者がいたら、即答で「やめておけ」というか、森達也監督の「A」は観ても良いかもよ・・・なんて答えくらいは出そうだが、嫌な気分にされる感じは同一かもしれない。
毎月、ただ存在しているだけで、住民税や年金を取られ、稼ぎの半分くらいは税金で持って行かれる始末。
学生運動をやってた世代は、前科もらおうが、中退しようが、あまり関係ないところで生きているような気がして、元犯罪者でもブレずに偉そうにしていて、ある意味羨ましい。
現代社会で中卒は、ほぼ生きて行けないし、僕のような高卒や専門卒なんかも、よほど能力が高くないと生きて行けないのが現実だ。
そもそも、あの60~70年代に大学に通っていた若者って、なかなか立派な家柄じゃないの?
労働してないヤツが、労働を語る滑稽さは、ベースに「正義」があろうとも、そもそも「絶対」とか「正義」とか「神」が存在しないことが確定している現代において、声高らかに唱えられても「ジャスティス」と言いながら、空爆かましたブッシュの頭の悪さくらいしか思い浮かばない。
そういう冷めた?世代の人間が、連合赤軍、浅間山荘事件を何故か追ってしまうから不思議だ。
実際、なんであんなことになったのか。
この世の不条理を、科学的に紐解ける現代においては、リンチ殺人などは、立場、状況、環境、思想と、破綻するだけの材料は揃っているように見えるし、行動経済学とかでも余裕で分析出来るレベルだろう。
少なくとも、犠牲者が出る正義なんて、殺された警察官にも家族はいるし、鉄砲店のオヤジは搾取されて良い悪人ではなかったハズだ。
浅間山荘に籠城した彼らは、ある意味死ぬこと(殉死)を目的としていた訳だから、殉職者を出してはならないという後藤田長官の方針は当たりだったワケだし、オウム真理教でもしばらくその説は生きて、死刑は遅れていた気がする。
豊かな時代ほど、ストライキやデモは加熱するが、本当に社会が経済的に落ち込むと、流行らなくなるという不条理が人間の本質だ。
それが日本人ってことなのだろうか。
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